2013/4/13

函館の滞在で、キリスト教について深く考えはじめた。

昔から教会の建物が大好きで、どこの国、土地に行ってもまず教会を訪ねて入れる場所には入らせてもらったり、でも、、、自分自身、全く知らないんです。キリスト教について。建物や、ステンドグラスが大好きであと、神聖な空気が心地よくてそれだけだった。

神社や寺とかは、詳しい部分が多いけど教会は他国の世界のような入りづらい空気があって遠くから眺める感じの接し方だった。

 

函館のカトリック元町教会に入った時、キリスト様が十字架に掲げられて苦痛の表情をしているのを眺めながら、「どうして、こんな痛々しい姿を神様として掲げるんだろう」と、、、素朴な疑問が浮かび。ひたすら眺めながら考えた。寺や神社にはあまりない姿で、大体神様として掲げられているのは人間離れした像だったり、美しく立ってる像だったりするから、何でキリスト様の美しい姿を掲げないのかな?と思ったんです。

 

で、自分なりに答えが出てきたのが、

 

歩けなくなった足を引きずり、息も出来ず暗闇で歩いてたとして、、、

隣を高級車が通り、窓越しに「貴方は救われるから頑張りなさい」と言われても冷やかされてるだけだと感じる人がほとんどだと思う。

そんな中、歩けなくなった足を引きずり暗闇の中同じように苦しんで歩いている人に

「僕らには必ず光が訪れるから、頑張ろうね」と言われたら涙を流しながら、頑張ろうと力が湧き出てくると思う。

 

教会に行くのは、この世の苦しみ悲しみを抱えて行く人がほとんどだと思うから、きっと苦しんだ姿を見せながら「僕らには必ず光が待ってるから」と伝える為に十字架に掲げられた悲惨な姿を見せているのかなと。

 

勝手な解釈だけど、悲しみのどん底や苦しみのどん底を経験した人は、どん底にいる人に

頑張ろうねと深い愛の言葉を言えるよなぁ。。。